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200125

 今日は鶯谷へギターを売りに行った。アウラ楽器というギター専門店、下谷三丁目にある、もう40年以上前になるがギター教室の先生から10万円で買ったタムラヒロシだが糸巻きが壊れ直そうと思ったが気が変わった、修理代を含めて二万円也であった。さようなら。
 午後1時の約束で「東十条」の「陳麻家」で洋崇と仁美のしょう三人で昼食、ここへ来た理由は洋崇が行きたいこと、担々麺と麻婆豆腐が売りらしい、三人とも2つのセットと小籠包、
 折角の顔合わせ、どこか行こうの結果新大久保へ、私には初めての所、コリア通りとでもいうのか歩道は人であふれている、大きな店は少なく下町の雰囲気が濃い街だ、化粧品店の多いのが女性に人気なのかな、洋崇は途中で紀伊国屋に行きたいと歩いて新宿へ、こちらは赤羽で仁美と別れ上野から帰える途中駅で洋崇と合流、私は途中地元の居酒屋へ突入その後5キロほどを歩いて帰る、今日は20,000歩を超えた。
 おまけ、娘に貰ったお土産を網棚へ上げたまま「高崎」まで旅をさせてしまった、翌日迎えに行かなければならないことになる。
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200113

200103
神社の祈願祭へ出席、預かった札を配付する、午後嵐山へ行く、義仲の出生地を訪ねたくネットで見ると「鎌形八幡神社」に義仲産湯の清水があるとあったので先ずそこへ行こうと思ったが自分のカーナビでは見つけられなかった、仕方なくネットにあった地図を思い出しながら嵐山までは向かえたがあとが分らず鳩山ニュータウンまで行ってしまった。偶然ではあるが擬宝珠のついた橋を渡ると杜の入り口に幟があり見つけた。都幾川に沿った場所だ。幟には「基礎義仲出生の地」とあるが大蔵館はここではない、この「出生の地」とは嵐山町の出生という意味なのか時間切れと判断し帰宅し残ったお札を配る。


200104
昨日行った神社辺りが義仲の生まれた所かと思ったが、父親の義賢は大蔵館が拠点らしいとすると大蔵館が出生地ではないのかの疑問で大蔵館を訪ねるがここにも鎌形神社にあったと同じ幟がある。義仲の母親は遊女であるらしい(義賢の妻は秩父吉隆の娘)ので別宅で生まれたのかと自分で納得する。鎌形八幡神社辺りに下屋敷があったらしい

200113
ネットを見ていると、班渓寺に義仲生誕の地という碑があると、また、大蔵館の近所に義賢の墓があるとの地図を頼りに現地へ行く。班溪寺は鎌形八幡神社とさほど離れていない場所にあり昔は一角地であってもよいのかなと思われる位置にある、都幾川の側である。
義賢の墓といわれる場所は大蔵館から数百メートル離れた畑と住宅に挟まれたところに一つだけあった、参道には鳥居があるがこれは後からつけたものなのか、近所にある寺の敷地内であったのかわからない。
これで、三回訪ねてみたが知識の無い中で思う、中央で力のあった(帯刀先生)武将が落ち延び着しまた、ここに生れ中央へ上り武力を振るった一族があったことは確からしい。その他、義賢が落ち延びたとか当地に山吹姫の墓があるとかの所説は酒の肴に楽しみたい。

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2001

大晦日からの引き続き、午前零時で初詣客のお出迎え、田舎の神社でありと思いきや30人位が列をつくって待っているのだ、昨日からの強風で寒いのだが、でも1時前には灯を消して自宅に帰る。今回は風のため古札のお焚き上げと幟を上げられなかった。
元日が明けて9時からはまた神社で「元旦祭」が始まる。一連の儀式は大体のパターンは同じでメインの名目入れ替わる感じだ、40分から1時間弱で終わる、儀式が済むと直会という奉げたお神酒をみんなで分けて飲む、で終わる。
昨年9月読み始めた「大菩薩峠」まだ半分以上残っているが少々だらけ気味である、早く終えようと思ているが私は読むのが遅い、次は谷崎が読みたくなった。
乱歩が読みかけ、大正期小説集と熊楠が残っているのに今は谷崎

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191231

 神社、古札焼納祭と初詣の準備、午前は暖かな日だったが強風と寒い日になってしまった。4時過ぎに一旦解散し午後11時に集合、初詣も1時前には終わる。200人位の参拝があったろうか。明日は午前9時に元旦祭
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