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190604

朝:ごはん小 昨日の残りの肉野菜 納豆 昼:はま寿司の90円寿司6皿 夕:ポテトサラダ 茄子の鴫焼 天ぷら うどん
・F施設の借用申請6月25日分400円也
※昔のいろいろ№1
・私の生まれたのは1949(昭和24)年、K市の場末で借家、北側にある路地に面して屋根のついた引き戸の門があったが古く小さな家だった。1畳ほどのたたきに2畳の玄関があり南に3畳の茶の間となる、勝手がその南に 土間と床とガチャポン井戸。茶の間の東に8畳の間があり居間兼寝間兼客間である。その南が廊下があり東の突き当りが便所。汲み取り式の電気なしなので怖い。小さな庭がマサキの垣で区切ってある、そこに親子4人が暮らしていた。
 こう書いているとあの頃のことが次第に思い出されてくる。多分時系列のないつまみ食いの記憶が涌いてくるようだ。
 玄関を右に出て東へ並んだ2軒を過ぎると南北に走る大幹通りにでる。右へ行けば街中へ、左へ向かうと道路の先に男体山が見える 100mも行かぬうちに田園地帯になる堺が祭りの結界となる所だ。
大幹通りへ出て右へ進むと100m位のうちに店が並んでいた。向かいの角に床屋 和菓子屋 炭屋 薪屋 魚屋 営団 金網屋 米雑貨屋 豆腐屋 魚屋 引出物屋 和菓子屋 麹屋 反対側には建具屋 下駄屋 雑貨屋 畳屋 編み物屋 酒屋 肉屋 八百屋 貸本屋 質屋それに大地主のS宅(後にこの屋敷は地本にある大学の職員宿舎として移築したそうだ)と中々な商店街であった。酒屋のもぎり酒やその他お使いは 毎日のようで朝は豆腐のお使いが多かった。貸本屋へ漫画を借りに行くなどは楽しみの一つだった。酒屋へ行くと大きな樽が置いてありお爺さんが上から棒でかき回してから下の注ぎ口のコックをぬいて量り売りするのだ。何か混ざっていたのかな?
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