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200113

200103
神社の祈願祭へ出席、預かった札を配付する、午後嵐山へ行く、義仲の出生地を訪ねたくネットで見ると「鎌形八幡神社」に義仲産湯の清水があるとあったので先ずそこへ行こうと思ったが自分のカーナビでは見つけられなかった、仕方なくネットにあった地図を思い出しながら嵐山までは向かえたがあとが分らず鳩山ニュータウンまで行ってしまった。偶然ではあるが擬宝珠のついた橋を渡ると杜の入り口に幟があり見つけた。都幾川に沿った場所だ。幟には「基礎義仲出生の地」とあるが大蔵館はここではない、この「出生の地」とは嵐山町の出生という意味なのか時間切れと判断し帰宅し残ったお札を配る。


200104
昨日行った神社辺りが義仲の生まれた所かと思ったが、父親の義賢は大蔵館が拠点らしいとすると大蔵館が出生地ではないのかの疑問で大蔵館を訪ねるがここにも鎌形神社にあったと同じ幟がある。義仲の母親は遊女であるらしい(義賢の妻は秩父吉隆の娘)ので別宅で生まれたのかと自分で納得する。鎌形八幡神社辺りに下屋敷があったらしい

200113
ネットを見ていると、班渓寺に義仲生誕の地という碑があると、また、大蔵館の近所に義賢の墓があるとの地図を頼りに現地へ行く。班溪寺は鎌形八幡神社とさほど離れていない場所にあり昔は一角地であってもよいのかなと思われる位置にある、都幾川の側である。
義賢の墓といわれる場所は大蔵館から数百メートル離れた畑と住宅に挟まれたところに一つだけあった、参道には鳥居があるがこれは後からつけたものなのか、近所にある寺の敷地内であったのかわからない。
これで、三回訪ねてみたが知識の無い中で思う、中央で力のあった(帯刀先生)武将が落ち延び着しまた、ここに生れ中央へ上り武力を振るった一族があったことは確からしい。その他、義賢が落ち延びたとか当地に山吹姫の墓があるとかの所説は酒の肴に楽しみたい。

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