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190630

 自分が何歳までのことを覚えているのだろう。本当の自分の記憶なのか、後で母親などに聞かされたことを自分の記憶として納めてしまったものもあるだろう、特に幼児期は可能性大だ。でも、自分で憶えていたのかもしれない。
 何歳のことだろう、たぶん1・2歳か、「ねんねこ」にくるまれ母親におんぶされ、暑いのを我慢しているうちオムツにオシッコした生暖かい感じ、家族あやされている話が判り、喋りたいが喋れないという記憶はほんとかしら。
母親におんぶされて外へ出かけるのは好きだった。
 ある時、新しく作った「ねんねこ」におんぶされながら、何故か私が布を喰いちぎり綿が見えてしまった。母にはやはり叱られた。今、繕った話にすれば「ねんねこ」を間に母親との愛情チェックだったのか

三歳の頃と思う、春、荒川堤に花見に行った、1.5km位は歩いたか、17号国道を渡り踏切を超え荒川大橋を見て左に行くと桜堤だ、当時は土手の上両側に桜並木がありトンネルだ。そこを皆がそぞろ歩く、土手下の畑には掛物小屋があり露店が並ぶ。柴田サーカスや見世物小屋は値が高いのでなかなか入れない、
 その日は何故か桜並木に入って暫くして家族と離れてしまい家族を呼ぶがいない、いない、いない。当時、親はふざけて「ひとさらいが来るぞ!」とからかったが、それが頭をよぎったのか「とりあえず家に帰ろう」の決心をしたらしい。かえりみち、多分笛を鳴らしたと思うが踏切警手が遮断機を下ろし電車の通過を待つ、信号があったのか定かでないが17号国道を渡り何とか家にたどり着いた。
家族が帰ってるかもしれない、の期待で待つ借家の狭い庭、家は戸が閉まり鍵がかかり誰もいない。
 待てば誰か帰えると思い待っている自分と狭い庭にそそぐ春の陽ざしが寂しかった。
 慌てて帰ってきた母親のホットした声を聞いて、泣きたくなった。

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